韓国

漢拏山(ハルラサン)登山


1968年(昭和43年)

隊長・武藤政之(27)、副隊長・高坂晋(26)、隊員・渡辺克己(25)、酒井美一(24)、山口敦(22)
特別参加(会友)・上田竹三(64)

4月26日
全員が外国登山は初めてというので緊張と期待で博多行きの夜行列車「月光」に乗り名古屋を出発した。翌日、福岡空港から飛び立ち、約1時間のフライトで15時40分に釜山(プサン)空港に到着し、沖允人会員より連絡していた慶煕大学山岳会OBと釜山山岳会の出迎えを受ける。皆さんが日本語が話せるので大変助かる。案内してもらった束来洞の大利旅館に入る。日本人を泊めるのは初めてであるという。

4月28日
午前中は旅館の案内で近くの松の木の多い公園のような上鶏峯(630m)に登った。頂上には長い石垣が続いている。この石垣は、昔、日本軍が攻めてきた時に築いて攻撃を防いたものだといわれているが、その時の人海戦術は察するに余りあるものがある。向かい側の山のふもとにはとても大きお寺があって1000人もの僧侶がいて修業をしているという。
 午後15時40分の航空便で済州島に向かい約1時間後に済州島空港に着き、車で済州市(チェジュ)から登山基地の町である観音寺に着く。ここで登山届を出し、タクシーで20分ほど走ってベースキャンプに入り登山の準備をする。ここの標高は約600mである。



4月29日
北面のベースキャンプから韓国最高峰の漢拏山(1950m)の北面ルートで頂上に向かう。樹林帯を抜けると視界が開け、三角岩峰(1711m)を9時45分に通過し、13時55分に頂上に到着した。写真を撮影したりして眺めを満喫し、15時45分にベースキャンプに帰着した。

4月30日
 午前4時BCを出発。気温は2度。韓国最高峰の漢拏山(1950m)の南面を通って済州島を縦断する。南面は、北面のような登山コースがはっきりしない。南面一帯が草原のような感じである。
 漢拏山からカラ沢の中を2時間余り下った所で東西に通っている道らしいものを発見する。これを東に向かって行くと数軒の農業小屋のようなものがあった。小屋は済州島特有の造りで土台と厚い壁と麦わら屋根の家は、多分土地の木こりの人が住む家であろう。道を聞こうにも人影は見えないのでここから南に下っている登山道を下って行く。
午前11時に広く美しい水の流れている沢に出て一休みする。ここからは、今、私たちの下って来た漢拏山の南壁が美しくそそり立って見えている。
 顔を洗ったり,写真を撮ったりした後、この沢を渡って森林帯の中の道を30分くらい行くと大草原に出た。南には、今私たちが行こうとする西帰浦の海岸線や街の家々、後をふりかへると漢拏山の広い裾野が長々と続いている。良く歩いたものだと、感心するが、また先は大分歩かなれれぱならので安心はできない。漢拏山は、島特有の地形で、海抜は低くてもアプローチが長いので馬鹿にならない。交通の発達していないこの島で、タクシーやバスを利用するなどはとうてい考えられないことである。ただ、自分の足で進むより術がない。この大草原金体が牧場になっているのであろう。草の中に乾燥した牛の糞かたくさん残っていた。
 草原の中には、高さ1m位の長さに積まれた石の塀が延々と続いている。多分これは土地の所有権を示すものであろう。この石垣を何度も飛び越して遙か下に見える村に歩き続ける。
 2時間ほど草原の中を歩き続けるとようやく集落に出た。振り返ると、漢拏山の南壁が望まれ、広い頂上も見えていた。
 途中で1本立てて、1時閥余り歩いてようやく売店らしい家を見付けてジュースを買う。ここの女主人は日本語が分からないので、私たちのゼスチャーによつてホコリだらけのビンを取出して、栓を包丁で抜いてくれた。余りあぷなっかしいので日本から持ってきた栓抜を貸してやったが、使い方知らないと云っていた。1人1本づつラッパ飲みをした後で、これよ少し先の農事務所らしい立派な建物で旅館を聞いた。日本語を話す年輩の人にホテルとタクシーの手配をお願いする。
14時30分、2台のワゴン車のタクシーで連れられて行くと案内してくれたホテルは、西婦浦(ソグイポ)で最高級のホテルで、実に眺めが良い。無事に登頂した喜びと快適なホテルにくつろぐ楽しさでみんなの顔がほころぶ。
5月1日
 釜山に帰り、航空機の都合で予定より1日早く5月2日に福岡空港に帰着した。

 本項は、中京山岳会会報88号と89号の登山報告抜粋。
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