キリマジャロ登頂記


はじめに

キリマンジャロ世界的な知名度を持つアフリカ大陸の最高峰である。ケニアとの国境近く、タンザニアに位置するその山は、アフリカにあって特別な位置をせめる。ザイルやピッケル、アイゼンなしで登れる6000m近い高峰である。

暑さ、寒さに加えて高山病対策とハードな行程が難関であったが、トラブルもなく頂上に立つことができた。多くのポーターの皆さんのサポートにより成功裏に終えたことに感謝の意を表するとともに登頂を素直に喜びたい。以下登頂日記である。

第1日(9月16日・木)雨  出 発 〜バンコクへ 
・ 関西国際空港発  18時30分  JL727
バンコク着 22時00分(2時間遅れの現地時間・日本時間24時)東京組・添乗員と合流

第2日(17日・金)晴れ キリマンジャロ空港へ
バンコク発 17日 0時35分 アディスアベバ(エチオピア)着。機を乗り換えナイロビ(ケニア)経由でキリマンジャロ空港着14:40分(時差6時間遅れ)。ようやくアフリカはタンザニアのキリマンジャロ空港へ着いた。 陽光降り注ぐ快適な気温。 送迎のマイクロバスは日本の温泉宿の中古で、車体には日本語で「いい湯〜」の文字が。モシのホテル・カプリコーン着17時30分(モシは人口10万人、登山基地として有名、またキリマンジャロ・コーヒーの産地)。夕食はバイキング、ビールは3ドル。

第3日(18日・土)雨 登山口からマンダラハットへ
6時30分起床 マイクロバスで登山口のマラングゲートへ向かう。三角屋根の洒落た建物だ。大きな荷物はポーターに預け、10時過ぎ、雨具を着けて、小雨の中を出発。小雨に煙るジャングルの中を歩く。
サルオガセが絡む巨木が空高く茂るも、意外と明るく雑木、下草も生い茂り、やはり日本ではみられない密林である。12時20分 野天の休憩所着、ランチボックスで昼食。14時、雨も止み雨具を脱ぐ。15時 マンダラハット着。三角屋根の二段ベッド。外は晴れ間が見える。16時 ティータイム、18時 夕食。パルスオキシメーターで血中酸素、脈拍をチェック。91(80以上が可)、82で異常なし。

第4日(19日・日)晴れ ホロンボハットへ 
6時起床 8時出発。ガイドのジュマン他を紹介される。樹林が開け、潅木帯に入ると、8時40分、キリマンジャロが雪を纏った白い頭部を垣間見せる。右にはマウェンジ峰が黒い急峻な山容で聳える。風は爽やかだ。ほぼ1時間ごとに10分程の休憩。潅木帯の道は細かい砂塵がひどい。灼熱の太陽の下での長時間歩行を予想し、日除け付きの帽子を用意してきたが、汗はほとんどかかない。登山口は標高1800m、今日はそこから3700m地点への道のりである。

欧米の登山者・大きな荷物を頭上に乗せたり担いだりのポーター等が声をかける。「ジャンボ、ジャンボ」、「コンニチワ」(日本語のあいさつも普及?している)。ピクニカル・ヒル11時、12時15分ランチポイントで1時間余の昼食。背の首筋が白い大きなカラス(ホワイトネック)が周囲を舞う。

周囲の植生は、カイズカイブキ風の低木、ハハコグサ風の花をつけた草花がほとんどを占めている。乾燥地帯で植物の種類は極めて少ない。鳥や動物も姿を見ない。ソテツのような幹をした特異な形のジャイアント・セネシオが沢状地形のあちこちに群生している。

15時30分 ホロンボハット着。3720m、富士山の頂上と同じ高さだ。風は冷たい。小石を並べてサークルにHのマークのヘリポートがある。山小屋はどれもおなじみの三角屋根。先行9人パーティ添乗員の堤さんに出会う。小屋は4人の2段ベッド、足元のブッシュから背に縞模様のある緑っぽい小さなネズミが出入りする。小屋下にせせらぎがあり、周囲にジャイアント・セネシオが林立している。

夜も寒くはない、南十字星(サザンクロス)が見えるというが、よくわからなかった。


第5日(20日・月)晴れ 高度順応のため滞在
早朝の気温5度C。朝食後のパルスオキシメーターは、88、92で異常なし。高山病予防のダイアモックスを1/2服用、以後朝夕服用。高度順応のため、ゼブラロック(4000m)まで1時間半の散策。ポレ、ポレ(ゆっくり、ゆっくり)すれ違うポーター等が声をかける。



白黒縦じまのゼブラロックを回り込み、主峰への道に出て元の小屋へ下る。12時半帰着。夕食はインスタントながら添乗員持参のちらし寿司とみそ汁で食が進む。アルパインツアーの一行と出会う。

第6日(21日・火)晴れ 最上部小屋のキボハットへ
8時出発。10時ラストウオーター(最後の水場)で休憩。草原に緑屋根のトイレ小屋が二つ。11時サドル(広大な砂礫、砂漠状の平原が延々と続く)に着く。標高4000m、風が冷たい。岩陰で休憩。Iさんがダウン、おう吐で高山病の様だ。ガイドが付き添って下の小屋ホロンボハットまで下山することに。

はるかにキボハットの屋根が見える。雲が低く、キリマンジャロの頂は顔を見せないが右後方にはマウエンジ峰が急峻な岩峰を連ね黒く聳えている。
13時15分、下山してくるS旅行の9人パーティに出会う。ウフルピークへは9人中2人が登頂したとのこと。
14時20分 キボハット着。曇り、風少々。夜は十三夜の月が明るい。19時就寝

第7日(22日・水)晴れ 登 頂

いよいよアタック日。前夜22時起床。23時30分、月明かりの中、ラテルネを点け、完全防寒装備で出発。プライベートポーター(50ドル)を頼む者も何人か。

月光のもとただ黙々と歩を進める。高度を意識して、ガイドは正にポレ、ポレのゆっくりしたペースだ。ガレた沢状の道を詰め、砂礫のつづら折れの登山道は、月光とラテルネで白くキラキラ光る。石英をまいたようだ。前日から前を空けないようにくどく言われ、緊張感もあって、皆必死で前者について行く。

頭上にはオリオン座が見えるがサザンクロスらしき星はよくわからない。ゆっくり、ゆっくりの登高で遅れるものは誰もいない。後続の白人パーティと前後しながらひたすら夜道を登る。
寒さはそれほど感じないが手が冷たい。休憩時に特製のダウンのオーバーミトンを着けるとようやく温かくなった。月光が冷たく照らす山腹の道は単調そのものでガイドはラテルネなしの者もいる。1時間登って5〜10分の休憩、セオリー通りである。

東の空が明るくなり、振り返るとマウエンジ峰が黒く鋭い岩峰のシルエットを見せる。
ゆっくりペースのお陰で息切れや息苦しさは感じない。何も考えず無心で登る。いつも遅れ気味の単独参加の女性も前のガイドにぴったりついている。全員調子が良さそうだ

◇ 頂上
突然のように「ギルマンズ・ポイント」に出た。頂上だ。時間はちょうど5時、5時間半の行程だ。日本の山とは違う、いかにも国際級の山といった感じの標識だ。添乗員は、直ぐに剣ヶ峰に相当する「ウフル・ピーク5895m」へ向かうと言う。私は当然のことと受け止めたが、後になって不満をもらす者もいた。



ウフル・ピークまでは2時間を要する。富士山のお鉢めぐりのような感じだが、結構岩道で起伏があり、この間が初めて稜線を歩いている山道らしい行程である。丁度日の出である。行く先の彼方に氷河が朝日に白く輝いている。近づくと氷河は壮大な眺めである。山頂のためモレーンもなく、きれいな絶壁の断面をみせて階段状に続いている。

メンバーは既にバラバラになり、前後の者とピークを目指す。7時丁度、「ウフル・ピーク」、真の最高地点に立つ。各国の登山者で賑やかだ。同行のS夫妻と共に登頂を喜び記念写真を撮りピークを後にする。途中で遅れた者を待っていた添乗員と握手、礼を言うと彼も感極まったかのように喜んだ顔が印象的であった。

◇ 下山・キボハット〜ホロンボハットへ 

8時、再びギルマンズ・ポイントへ戻り、砂礫の砂走りを一気に下る。濛々たる砂埃の中、長い長い下りである。9時50分キボハット着。小屋でカップめんのそばで昼食。
のどの通りが良くて美味い。休憩後12時15分キボハット出発。潅木帯を抜け、砂埃に悩ませられながらひたすら歩く。やがて木々の間に三角屋根が見える。ようやくホロンボハットに着く、15時20分。長い一日が終わった。小屋の2時間の休憩を含め実に16時間のハードスケジュールであった。

第8日(23日木)晴れ 登山口のマラングゲートへ 

7時、ホロンボハットを出発。ガイド(ジュマン)を先頭に三々五々往路を下る。ブッシュの中の相変わらずの埃道である。あまりのひどさに多くはマスクやタオルで口元を覆うが気休め程度か。10時20分、樹林帯に差し掛かる。樹上に白い房のような尾をぶら下げた猿がいる。

ガイドのウイルが「ブラック&ホワイトコロバスモンキー」だという。10時50分ようやく緑したたるマンダラハットに到着し休憩。13時10分登山口のマラングゲート着。2ドルのビール(中瓶)で無事の帰着を祝す。

添乗員のA、ガイドのゼウス、ウイル、ジュマン、レミーと握手、顔写真を撮る。物売りからTシャツや山の版画様のクロスを買わされる。この辺りでは珍しい松林の下で昼食後、15時マイクロバスでアルーシャへ向かう。

帰りの道は解放感もあり楽しい。キリマンジャロの裾野を西に回り込むと、午後の陽に遥かな頂の雪(氷河)が一層鮮やかに映える。18時、四つ星のアルーシャ・ホテル着。人口20万人、標高1400mのアル―シャは都会である(実質の首都はダル・エス・サラーム)。豪華な部屋で何日振りかのシャワーを浴びると垢か、埃かバスタブの汚れに驚いた。夕食はバイキング、ビール500mlは4ドル。食後、近くのスーパーへ土産物の買い出しに出る。

   ―――以上抄録

 

キリマンジャロ登山 2010年9月16日〜26日(11日間)

 12人の登山ツアーに参加

                       中京山岳会 織田善夫