75歳と68歳の2人だけのインドヒマラヤ登山(初登頂)

インド北西部、ジャンム・アンド・カシミール州ラダック地方

・パンゴン山脈・カンジュ・カンリ山群バルマ・カンリ峰(c.6500m)初登頂とカンジュ・カンリ峰(6725m)

2010628:成田発、ニューデリー経由・空路、ジャム・アンド・カシミール州、ラダック地区の主都レーに629日に到着。レーの標高は約3700m。パンゴン山脈はインド・中国の国境地帯にあるため、登山ビザに加えてインナーライン・パーミット(禁止区域入域許可の)取得が必須なので、レーでその最終手続きをする。630:レーで出発準備。隊長・沖允人【(75) 中京山岳会・日本山岳会栃木支部】,登攀隊長.・西嶋.錬太郎【(68) 白山フウロ山岳会・日本山岳会石川支部】、リエゾン・オフィサー・ガンディ・ソラブ(56)、クライミングガイド・クムチョック・ティネス(31)、ハイポーター(3)、コック(1)、コック助手(1)、合計2+7=9

71:2台でレー出発、チャン・ラ(5360m)、タンツェ(3795m)経由・パルマ(Parma)の集落の先の川原に72日にベースキャンプ(4800m)を建設。外国人としては初めての入山となる。

75日カンジュ・カンリ(Kangju Kangri)山群西面、テスタ・ルンパ(Testa Lungpa)谷中流域の岩と雪の高原台地に:1キャンプ(5400m)を建設。79: テスタ・ルンパ谷源流域の索漠としたモレインの岩の上に第2キャンプ(6000m)を建設。

712:2キャンプからパンゴン山脈主稜線のコル(c.6200m)に登り、南東に伸びる岩と雪の主稜線を辿り、主稜線上の無名峰(6515m)に西嶋・クライミングガイド・ハイポーター(ペンバ(50))が初登頂した。頂上直下の雪壁に約200mのロープをフィックスした。この無名峰はBC近くの集落の名前からバルマ・カンリ(Barma Kangri)(間の岳の意)と仮称することにし、リエゾン・オフィサーの了承をえた。
717:前記の無名峰(c.6500m)に、沖・クライミングガイド・ハイポーター・ペンバが第2キャンプから登頂、フィックスロープなどを撤収、第2キャンプも撤収し、第1キャンプ経由で、ベースキャンプに下った。

720: テスタ・ルンパ谷源流域のカンジュ・カンリ主峰南面のモレイン上に第3キャンプ(6100m)を建設した。

721:西嶋・クライミングガイド・ハイーポーター・ペンバは第3キャンプからカンジュ・カンリ登頂を目指して頂稜リッジの6420m地点に到達した。しかし、そこから主峰への頂稜リッジは、斧で断ったように切れていて前進は困難で危険極まりないので登攀を中止。722:3キャンプ、第1キャンプを撤収し、ベースキャンプに下山。724:ベースキャンプを撤収し、タンツェ、チャン・ラを経由し、レーに帰着。725-26:レーで帰国準備。

727:レー発、空路、ニューデリー着。ニューデリー発の夜行便で728日に成田に帰着。  沖允人記